私は、茨木のり子さんのこの詩を時々読みます。「汲む」という詩です。-----大人になるというのはすれっからしになるということだと思い込んでいた少女の頃立居振舞の美しい発音の正確な素敵な女の人と会いましたそのひとは私の背のびを見すかしたようになにげない話に言いました初々しさが大切なの人に対しても世の中に対しても人を人とも思わなくなったとき堕落が始まるのね 堕ちてゆくのを隠そうとしても 隠せなくなった人を何人も見ました私はどきんとしそして深く悟りました大人になってもどぎまぎしたっていいんだなぎこちない挨拶 醜く赤くなる失語症 なめらかでないしぐさ子どもの悪態にさえ傷ついてしまう頼りない生牡蠣のような感受性それらを鍛える必要は少しもなかったのだな年老いても咲きたての薔薇 柔らかく外にむかってひらかれるのこそ難しいあらゆる仕事すべてのいい仕事の核には震える弱いアンテナが隠されている きっと……わたくしもかつてのあの人と同じぐらいの年になりましたたちかえり今もときどきその意味をひっそり汲むことがあるのです(茨木のり子 「汲む―Y・Yに―」)